あの日あの時。。

『それ』は突然訪れました。

個としての『自分』が消滅し、すべてがひとつとなった瞬間でした。

ワンネスが訪れたその直後はというと、もうね、泣きじゃくりましたよ。

仕事の忙しさや人間関係に疲れ切って、そして、やがて八方塞がりになっていた日々。

うつ病を患い、なんとか社会復帰しながら、幸せを求めてさまよった日々。

心理学、哲学、精神世界などの本を読んでは実践した日々。

最後のほうには、ツラくて、もう、幸せをアキラメかけていました。

でも、その先に訪れた『それ』は、これまでさまよってきた僕を祝福してくれるに十分過ぎるものでした。

そしてそれは、この世が実は幻想のようなもの、と気づいた瞬間でもありました。


「よくぞここまで頑張ったね、自分。。」という自分に対するねぎらいの想いがあふれては泣きじゃくり。。

同時に「まぁ、気づいてみれば幻想のようなこの世の生活に、よくもまぁ、ものの見事に振り回されてきたもんだ。。」という、半ば自分で自分に呆れてしまい、むしろ笑えるような感情が湧いたものです。

泣きながら笑うというのか、笑いながら泣くというのか。。

とにかく、中年男が顔中ぐじゃぐじゃにして泣きまくっているという、とても人様にお見せできない状態でしたよ。

整理すると僕の場合は
うつ病⇒幸せを渇望⇒不安と恐怖が消えない⇒幸せをアキラメかける⇒覚醒
という流れでしたね。

あ、ちなみにここでいう『覚醒』とは、その瞬間を観たという意味で使ってますよ。

仏教では「預流果(よるか)」といったかな?

要は、『真理』を一瞬垣間見たに過ぎないんです。

『覚醒初心者』みたいなもんだね。

僕の場合は2011年に『覚醒』が訪れて、価値観の大転換が起きたのだけど、個人としての僕が、いきなりガラッと変わるわけじゃない。

それまでと同様、思考も感情もある。物欲だってあるんです。『覚醒』といっても預流果ですから、当時はほんの入り口に入ったようなものなんですね。



でも、それでも普段の生活の中でのこころの穏やかさは格段にUPしました。

自分の『本質』が実は静かで穏やかな『大いなるもの』ということに気づいていると、これはやはり、こころ穏やかに居れます。

そしてその後、何年間もかけて紆余曲折の後、ようやく『真理』と『個人』の統合が起きたわけです。

でもね、聖人君子とかじゃないですよ、全然。

それどころか、ごくごく普通のおっちゃんですよ。

ただし、感情に振り回されることは殆どなくなった。

『あえて』感情を使うことはあるけどね。

さて、色々と書きましたが、覚醒への道は人それぞれです。

僕の場合は、うつ病やら苦しみやらでキツさガッツリでしたけど、必ずしもこんな道を通らなくても覚醒に至るんですよ。

例えば、愛の道に生きる、感謝の道に生きる、瞑想を習慣化する、こころの内観をするなどなど、人によって実に色々な道がある。

僕としては、あなたになるべくラクな道を歩んで欲しいな、と勝手に思っています。

なにも、うつ病とか不安とか恐怖に苦しむ必要は無いのだからね。

そして、『真理』はいつでもそこに在るのであって、決してなくなるものではないのだから、あせる必要も無いと思います。

あなたなりの覚醒への道を味わってくださいね。では。


あなたの今日に覚醒の扉が啓きますように(祈)

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投稿者: minamo

■地方の国立大学を卒業して、大手化学系企業に就職 ■かつて、うつ病で苦しみ彷徨い、真の幸せを探究する ■2020年7月に『いのちの本質』に気づく ■瞑想、散歩、読書を愛するアラフィフ世代

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