あれはもう十年くらい前のことです。

ある休日の午前中のことでした。

部屋で片付けものをしていたんです。

『それ』はいきなり訪れました。

突如として、個としての『自分』が消滅し、すべてがひとつになった瞬間です。

静かで穏やかな、『いつもの世界』とは全く異なる、平安の世界がそこに在ったんです。


僕たちが『五感』で感じている『いつもの世界』と異なる、静かで穏やかなその世界は、それ自身が僕でした。


そして、それまで幸せを求めて苦しんで、この世をさまよっていた僕にとっては、それはまさに救いだったんです。

だから、気づきの直後は、それはもう激しく泣きましたよ。

顔面ぐちゃぐちゃにしてね、もう、見られたものじゃないくらい(笑)

何年も苦しんだあげくの『気づき』だったものだから、その喜びは言いようのない凄まじいものだったんですね。

『覚醒』・『見性』。。呼び名は色々ありますが、『本当の自分』に気づくことは、何ものにも代えがたい『真理』の訪れだと想います。

さて、『気づき』の後の数年間はというと、生き方は激変です。

『大いなる存在』を感じながら生活を送るのですから、当然といえば当然ですね。


しかし、『大いなる存在』は『いつもの世界』とは全く異なるものです。

だから僕は、少々浮世離れした感じにもなりまして、日常生活はそれなりに大変でもありました。



静かで穏やかなあの世界が在る一方で、騒々しく競争にあふれた『いつもの世界』が在る。

そのはざまで、悩み苦しんでいた時期があるのも事実です。

せっかく『気づき』が訪れたのに、また新しい悩みが訪れたというわけです。


しかしながら、最近、ようやく『いつもの世界』と『もうひとつの世界』を自由に行き来できるようになった感じです。

いや、「行き来」というよりは、いつも、両者が調和してそこに在る、という感じかな。

いずれにせよ、日常生活は実に快適に過ごしつつも、『大いなる存在』も観じているという、僕にとってはまさに理想の状態なんです。

怒りの感情をガマンするのでもなく、解消するのでもなく、怒りの感情が不思議と湧かない。

怒るときもありますが、それは社会生活で必要に応じて『あえて』怒るという感じです。

言ってみれば、まるで役者さんが怒りの演技をしているようなものかな。。

僕は上記のような『いつもの世界』と『もうひとつの世界』が、快適に絶妙に共存している状態を『ワンネスと実社会の統合』と呼んだりもします。

覚醒の世界を観じ、山奥で滝に打たれて生きるのもそれはひとつの生き方だとは思います。

だけど、僕は実社会で生きることを選んだ。

そして最近、『統合』の時がようやく訪れたわけです。



『統合』までの道のりは、長かった~っ!!

でも。。本当に良い旅だったと想います。

色々な楽しみや苦しみを、本当にたくさん味わうことができた。

それは、この世に生まれたから、そしていま、生きているからこそですね。

そう想うとあらためて、いまここに在れることに、こころより感謝いたします。では。

あなたの今日に安らぎが訪れますように(祈)

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投稿者: minamo

■地方の国立大学を卒業して、大手化学系企業に就職 ■かつて、うつ病で苦しみ彷徨い、真の幸せを探究する ■2020年7月に『いのちの本質』に気づく ■瞑想、散歩、読書を愛するアラフィフ世代

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