覚醒とは自身の本質に気づくこと

もう十年くらい前のことです。

ある日ある時、大いなる気づきが僕に訪れました。


自分が実は『いのち』そのものであるということ。

『いのち』とは、すべてを司る大いなる存在であるということ。

そして、みんな、根っこでつながっている、ということ。


そのことに突然気づいたんです。

その気づきのことを、巷では、覚醒・見性などと呼んでいます。

なので、当時の僕は、覚醒・見性について、色んな人にお伝えしていました。


「本当は、あなたも僕も大いなるひとつのものなんだよ。。!」

「本当は、僕たちは静かで穏やかな平安な存在なんだよ。。!」

こんな感じでね、お伝えしていたんですね。

覚醒の真偽を気にしすぎかも?

んでね、ほとんどの方は僕の話を『素直に』聞いてくれました。

だけどまれに「その気づきって、果たして本当に覚醒なの?」みたいな感じで、やけにからんでくる方も居たんですね。


その方はいわゆる『スピオタ(スピリチュアルオタク)』と呼ばれる類の人で、覚醒はもちろん、スピリチュアル全般にめちゃ詳しかったんです。

『スピオタ』ってコトバ、僕はその方を軽蔑する意味で使っているのではないですよ。

オタクっの方って、ひとつのコトを極めていて、むしろ尊敬してます。


そのスピオタの方につきましても、スピリチュアルの知識の豊富さはすごいなぁ、と思いました。

だけど、覚醒の真偽なんて、僕としては、正直、どっちゃでもよかったんです。


「その気づきが覚醒かどうか」が問題ではなくって、要は、こころ平安に幸せになれれば、それでええやん、と思っていました。

実際、僕も気づきの後、めっちゃ幸せになったしね。


それとね、このようにからんでくる方自身が、実に苦しそうにしていたんですよ。

いま想うに、覚醒の真偽に執着するそのこころが、苦しみを生み出していたのだろうと。

その方、その後どうしてるかなぁ。。

スピリチュアルは何のために?

なんかねぇ。。思うんですよ。

覚醒・見性もそうだけど、スピリチュアル全般について、何のためにあるのかってね。


どう考えても、幸せになるためじゃないでしょうかね。。

自分が真理に気づいたかどうかが問題なのではなく、実際に幸せになれたかどうかが重要に想えるんです。


そういう意味で、スピリチュアルはドハマリせずに、ほどほどに楽しみながらやって、それで幸せになれるなら、最高かな。。

そんな風に思う、今日この頃です。皆さんはどうでしょうか。。?

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投稿者: minamo

■地方の国立大学を卒業して、大手化学系企業に就職 ■かつて、うつ病で苦しみ彷徨い、真の幸せを探究する ■2020年7月に『いのちの本質』に気づく ■瞑想、散歩、読書を愛するアラフィフ世代

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