中国の古来より伝わる書物『老子』には、覚醒のヒントが満載です!

僕は『老子』が好きで、もう何度も読んでいます。

今回は、『老子』の第1章を、僕がオリジナルで訳してみましたよ~。


巷には色々な訳本があるけど、こんな訳はいかがですか?

みなも(Minamo)による超訳を、ぜひお楽しみくださいませ。

老子 第1章 みなも(Minamo)の超訳

『本質』はコトバでは表せない。

『大いなる存在』と言ったところで、それの『本質』を示すことなど出来やしない。

『本質』とは、コトバを超えたところに在るのだ。


このように、コトバには限界があるが、仮に、この世のすべての存在の根本を『大いなる存在』と呼ぶことにしよう。

この世のアレコレは、『大いなる存在』によって、いまこのように在らしめられている。

そして本来、この世のアレコレに『名前』は無いのだが、人間が勝手に『名前』を付けて、そう呼んでいるのだ。

しかし『名前』は、そのものの『本質』を示すものではない。


こころを鎮めて、完全にニュートラルな視点に立てば、『大いなる存在』という『本質』が観えてくる。

こころをざわつかせて、色眼鏡でアレコレを見れば、それは物ごとの『表面』だけをなぞっているに過ぎない。

『本質』に気づくには、いつだって、こころの状態が重要なのだ。


『本質』はたったひとつしかない。ただし『ひとつ』というコトバでさえ、本当は精確ではない。

コトバはどこまでいっても、そのもの自体を表現することは出来ないのだ。


いま、こころを鎮めて気づいてみよう。

私たち人間はおろか、すべての生命、植物、鉱石に至るまで、この世の存在はすべて『大いなる存在』から生み出されているという真実に。

それは、私たちの想像を超えた、静謐さ、奥深さ、穏やかさを包含する、根源的な存在なのだ。


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投稿者: minamo

■地方の国立大学を卒業して、大手化学系企業に就職 ■かつて、うつ病で苦しみ彷徨い、真の幸せを探究する ■2020年7月に『いのちの本質』に気づく ■瞑想、散歩、読書を愛するアラフィフ世代

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